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ウクライナをどう報道する?

 ニュース番組はスポーツの結果、殺人事件、政治家の汚職、あるいはいろんな事故等を盛り合わせ、ひとつの「作品(物語)」として報道されています。おそらく製作者は映画で言えば「後編に乞うご期待」的なものをその「作品(物語)」に組み込み視聴率が稼げるような工夫をしているはずです。視聴率がとれないトピックやコメンテーターはどんどん入れ替えているのでしょう。語弊があるといけませんがいまはウクライナの戦争を放送すれば視聴率が取れます。もっと視聴率を上げるためには気の利いたことがいえるコメンテーターが必要なので、それを見つけるのに奔走していると思います。 コロナの初期には「専門家」はいないはずなのに、え?この先生が「専門家?」っていうのもありましたし、「経済評論家」のはずのひとが福島の原発事故の炉心溶融について解説したりしたのでテレビに登場する「専門家」の中にはチョットあやしい人もいそうな気が、、、、 昨今のウクライナの戦争に関する報道はしっかり見ているのですが戦争なので情報にはプロパガンダも含まれているはずです。もし仮に日本中のだれもがウクライナの戦争場面でテレビのスイッチを切るとニュースで戦争を伝える時間は大幅に短縮されるでしょう。テレビ局は戦争の悲惨さを伝えるという公器としての役割を果たす一方で、難民は悲惨な程、仇役は残忍なほど視聴率が上がるのを意識していると思います。良いとか悪いではなくてそういう大衆の動きが世の中を動かすエネルギーになっているのでしょう。皆が望むものが供給される「視聴率民主主義」の時代といえるかも知れません。 もっともこの「視聴率民主主義」はYouTubeやSNSなど右系と左系に色分けがきつくなり国民の意見の対立が先鋭化するという弱点がありそうです。